笑いの神さん

例えば、家庭に事情があって、母親が苦労して育てて、再婚相手が育ての父になって、実の父と会えない人が、芸能人になって、「お金を稼いで母親を楽させたい」と言った。
お客さんを楽しませるために日々練習した。
「お笑いがやりたい」とも言ったり、「ダウンタウンの松本さんが好きだ」と言ったりもした。

ダウンタウンの松本氏は、よくもわるくも、人間関係にこだわって、身内を擁護するところがあります。

人間関係に依存する、見ようによれば陰湿にも思える泥臭さは、人生に苦労してきたからかもしれません。
島田紳助氏にしてもそんなタイプなのでしょう。

はたして、一番欲しかったのはお金なのでしょうか?
笑いたいから笑かすのではないでしょうか?

「笑かす側の人間が、事件を起こしたり、泣いたりしたらアカン」という。

ですが、笑わすというのは、世の中の悪を忘れさせて、現実逃避をさせることなのでしょうか。
例えばアニメにしても、「夢」(妄想)を売るものなのでしょうか。

こんな物語があります。
あるところに、笑わない王さまがいた。
彼のところに、世界一のお笑い芸人がやってきた、
今度こそは、と周囲が期待するところが。
「私には王さまを笑わせることはできません。全ての民が幸せになったとき初めて、王さまは笑えるのでしょうから。」
いままで誰一人、王さまの理解者はいなかったのです。

私が幼い頃になりたかったのは、国連事務総長でした。
冷戦で世界のどこかで戦争をやっている時代に、人類を本当に平和にしたかったからです。
本当に穏やかに笑える世の中にしたかったからです。

笑いというのは、誰かを踏みつけ、見殺しにしたうえで成りたつものなのでしょうか?
お笑い芸人自身を犠牲にして成りたたせるものなのでしょうか?
国民に貧困があって、差別があって、笑いが成りたつものなのでしょうか?

子どもに妄想をもたせて育てるのが、よいことなのでしょうか?
それは、親の現実逃避、自己満足なのではありませんか?

社会悪をはびこらせたままで、娯楽に現実逃避させる「エンターテイメント」が正しいのでしょうか?
お金のために消費させるためにつくった企画が、例えばアニメやソシャゲだったりもしますが、それは本物のアニメやゲームなのでしょうか?
それは本物の芸術なのでしょうか?

お金稼ぎのための消費物、まがいもの、フェイクでしかないのではないでしょうか。

一億何千万のあるいは世界70億の、何十人か何百人か、
それが吉本芸人だったりもするでしょうし、京アニのスタッフだったりもするでしょうし、
熱中症死者だったりもします。

こうしているあいだにも、世界で深刻な貧困や飢餓がずっと続いていて、しかも気候危機までも急速に進行しています。
そうして、多くの人々が死んでいます。
日本の世の中の笑いは、人々のその苦しみと屍のうえにしかありません。

国連事務総長の職務も国際関係だけではなくて、いまや気候危機に取り組ませるのも事務総長の中心的な職務になりました。

かりに気候危機がなくともやはり、災害はなくなりません。
ですから、世界中で誰も苦しんでいないという状況はありえないのではあるでしょう。

何もなくとも、人はそのうち死にます。
人も生態系の一部ですから、人が生きていれば他の生物が殺されています。
決して、何もかも全てが苦しまない世界というのはありえません。

しかし、わざと他者を傷つけ殺して、悪をわざと見過ごして、自己保身に走って、自身のその(いじめに加担するという)悪を忘れたり、互いに忘れさせたりして、それで本当に笑えますか?

ひとが苦しんでいる隣でヘラヘラと笑っているのが人間ですか?

芸能人の職責は何ですか?
業界人の職責は何ですか?
天下の大臣や首長や議員の職責は何ですか?

あなたは、笑うことが許されるためには何をすべきですか?